時間についての考察

2001年11月21日
「今という時間は面白い。いま、いま、いま、と指で押さえていくうちにも、今は過ぎ去って新しい「いま」が来ている」というのは太宰治の「女生徒」にある言葉だが、時間というものの捉え方は、まさにこの通りではなかろうか。

過ぎ去った時間というものは早く感じられるものであり、逆に、先のことというのはひどく遠くに感じられるものだ。時間は常に同じ速さで流れているというのに、このような感覚の違いはどうして生じるのか。

まず、過ぎ去った時間というものを認識するためには、記憶として留め置く必要がある。常温で置いておけば腐ってしまう生肉を冷凍保存するようなものだ。したがって、解凍する順序で実際の物事の順序を入れ替えることができるし、解凍したときの温度は保存前の温度とは異なっている場合がある。

次に先のことだが、これは未来、つまり読んで字のごとく「未だ来ず」という意味だ。「一寸先は闇」という諺もある通り、どんなに優れた天気予報士だろうが、ノストラダムスだろうが、誰も未来を正確には予測できない。

そしてその過去と未来をつなぐものは言うまでもなく現在だが、実は私たちは現在を見ることで過去や未来を見ているのだ。つまり、私たちが過去や未来を認識できるのは、現在があるからであり、私たちにとって確かなものは現在だけなのである。

それでは過去は確かではないのかというと、過去は「記憶」として内在化され、多少なりとも抽象化され、脚色されるものである。「思い出はいつも綺麗」に感じたり、「悪い思い出しか残っていない」と認識する人は、自分でも意識せずにその「綺麗な部分」もしくは「悪い部分」を抽出し、思い出として記憶しているのだ。それが例え記憶でなく記録であったとしても同じことが言える。記録する際にも記録者は自分の記憶の中から抽出して書くのであり、どんなに注意深く主観性を抜き去った事実であったとしても、その全てを書き起こすのは不可能だからである。よって、過去は確かではないのである。

ここまで長々と書いてしまったが、月並みな言葉で書くと「卒業式まで残り3ヶ月半しかなくて、長いのか短いのかわからないけれど、とりあえず今を大事にしよう」ということなのである。

>ロリポップ
俺は決して制服フェチなどではないのです。かわいらしいセーラー服に心を動かされてしまうのは男として当たり前のことなのです!絶対にそうなのです!

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